アンコントローラブル

もう20年もたったのですね。
あの日ラジオやテレビで亡くなった方の名前を淡々と伝えるのを聞いて背筋が寒くなったのを思い出しました。数年前に神流川揚水式水力発電所の調査に携わった事があり、現地の上部ダムや導水路に行く途中に慰霊碑と事故現場の脇を通って行くのですが、削られた山肌に事故の激しさを感じました。今では工事関係者以外は車両の乗り入れが禁止の山頂に続く道(トンネルが多くとんでもない傾斜なのでたぶん一般には開放されたいと思う)があるのですが、当時は整備された道もなく、とても山の険しいところで事故当時、相当捜索が困難だったと思われます。

あと、記憶の捏造かもしれないのですが、当時「笑っていいとも」金曜日はゲストコーナーのあと、テーブルを挟んでタモリ明石家さんまがフリートークを繰り広げ、その中で明石家さんまが「ワシもホンマはあのヒコーキに乗る予定だったんデスワ」「ホンマ危なかった」とか言って、子供心に「それはちょっと・・・」と思った気がするのですが、周りに聞いてもみんな覚えてないって言うし、ググッても出て来ないから勘違いなのかもしれない。
下の本を読んで改めて事故の悲惨さ壮絶さを知りました。

沈まぬ太陽〈3〉御巣鷹山篇 (新潮文庫)

沈まぬ太陽〈3〉御巣鷹山篇 (新潮文庫)

クライマーズ・ハイ

クライマーズ・ハイ

ただ、こうした今も不慮事故や深刻な病で命が絶たれている人達もいるわけで、遺族の悲しみに事故の大きさは関係ないんだよね。