今はもう思い出せない

冬の小物マストアイテムと言えば、手袋とマフラーだと思う。十年ほど愛用してる革手袋がある。外がなめし革でインナーにシルク、サイズがピッタリなのだが、どうも買った記憶が無い。そればかりか親父のタンスに入っていた記憶すらある。謎は深まるばかりだ。カブで冬場に走ると訳もなく涙腺が弛み涙袋から涙が溢れ、ぴぃんとした寒さに鼻の先端の感覚が麻痺し鼻水垂れまくりで信号のたんびにティッシュを取り出すのもめんどくさく、つい横着して手袋でゴシゴシしてしまう。だから後年は革の変質によって飴色になったのか、色んな分泌物でテカテカになったのか判断がつかない。昨年、ほぼ同じデザインの革手袋をムニャムニャで貰ったのだけど、今みたいに円安でなくまだ円高で(でもユーロに対してはそんなに高くはなかったかも)計算してもいい値段であり、複雑な気分とは言え大事に使おうかと思う。反面、タンスから突然手袋がなくなった親父は当時どう思ったんだろうと考えた。
由来の分からないマフラーがある。最初は家族のを間違えて持って帰ってきたのと思い、聞いても心当たりなし。友人が忘れたものでもないらしい。記憶の地層を手繰ると一つだけ可能性が浮かんでくる。援助物資である。震災のあとしばらく芦屋に滞在したのだけど、ろくに準備もせずに乗り込んだため着替えがない。風呂なんて物はないから二週間ばかり着替えずにいたら、一緒に働いていた子にキレられ(これも今考えれば当然なのだが倒壊した家屋の廃材を使って燃料にし住民に仮設シャワーを提供してた為に煤だらけで焚き火の臭いが染み込んでいた)被災者援助物資が置いてある部屋に連れて行かれ、見繕われた服に着替えさせられたのだ(言い訳の様だけど服の物資は足りてたし、そもそもユーズドは需要がない。自分に置き換えて考えてみたらわかるが誰が着てたものかもわからずサイズも合うのを探すとなると難儀である。)その時に上下一式にマフラーもチョロまかしたような、してないような。これも真偽のほどは分からない。永遠の謎なのである。